はじめに
欧州外で、最初に地理的表示(G.I.、Geographical Indications、以下G.I.と呼びます)制度を導入した国はメキシコです。1974年にG.I.制度ができ、その年にG.I.テキーラが登録されました。テキーラは欧州外では最も古いG.I.商品でアルコール度数の高いお酒として世界的に有名です。日本国内でもメキシコのテキーラは保護されている商品です。1
古くにG.I.商品として指定され、地域経済の発展に貢献してきたと思われがちなテキーラですが、G.I.登録は長期的にみて良くなかったという結果が報告されています。近年、日本でもワインの地理的表示として「G.I.山梨」と「G.I.北海道」が登録され、ブランド化が進む等として大いなる期待が寄せられていますが、注意することはありそうです。ミニストリー・オブ・“ワイン”では、テキーラを例にとり、地理的表示制度のどのような点が良くなかったのか、日本のG.I.ワインの今後について参考になることはあるのか、考えます。
テキーラとは
テキーラは、メキシコ国内のハリスコ州とその周辺で、アガベと呼ばれる竜舌蘭(りゅうぜつらん、と読みます)から造られる蒸留酒です。日本語で“蘭”とつきますが、ランの花とは関係なく、メキシコ産なのでサボテンが原料のように思われることもあるそうですが、サボテンでもありません。先が尖っている、多肉質の葉が根っこから生えているように見える植物で、世界には200種類ほどあるそうです。メキシコを中心に中南米でみることができます。
アガベの葉は使わず、根元にある球茎を掘り起こし、収穫します。でんぷん質を糖分に変えるために圧力釜などで加熱してから冷まし、破砕・加水・圧搾などの工程をたどり、甘い汁モストが抽出され、これが発酵されます。蒸溜すると透明なテキーラの原酒ができます。この原酒は熟成の年月によって色が変わるのですが、樽での熟成の期間が長いほど琥珀色になります。
このアガベから造られたお酒は、総称でメスカル(Mezcal)と呼ばれるのですが、このうちハリスコ州の周辺で、産地、原料、製法などの規格に見合ったものをテキーラと呼びます。たとえば、テキーラ村とその周辺地域で、最低2回は蒸留されたものでなくてはならないなど、条件は厳しいです。2
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テキーラ生産業者とアガベ農家
テキーラ産業は大きく成長しましたが、G.I.テキーラは地域の環境に良くない結果をもたらし、地域の人々の流出を促してしまったという学術的な研究があります。テキーラは今でもメキシコから輸出されている有名なお酒です、どういうことでしょうか。
Bowen and Zapata(2009)によると、地理的表示が導入されてから、テキーラの生産現場に大きな変化が起こっていったとのことです。大規模にテキーラを生産をする大手の酒造メーカーが生き残り、寡占化がすすみ、地元で代々続くアガベ栽培農家は、大手のサプライチェーンには入れてもらえず、テキーラ産業の現場から外されていったということです。その結果、畑の大規模化が進み、環境面での破壊も進行し、伝統的な作り方よりも効率的な作り方に切り替わっていったとされています。大手のサプライチェーンに入れなかった地元農家の収入は不安定になり、昔ながらの労働者を多く使う収穫方法が改善され、機械化の導入が進み、化学肥料の使用が増えたこと、なども指摘されています。もう少し詳しくみましょう。
地理的表示の弊害を数字で確認
メキシコではテキーラは伝統的なお酒で、1500年代半ば頃にはアガベから造るお酒があったそうです。現在、テキーラ産業を担っているのは、アガベ農家、テキーラの蒸留をする会社、瓶詰めや配送を担う会社ですが、伝統的にはアガベ農家がアガベを栽培し、テキーラを造る会社に売ってきました。2006年時点で、12,000ほどの農家があり、11,200人ほどの日雇い労働者と3400人ほどのテキーラ会社に所属する人がいるそうです。登録されているテキーラ製造会社は124社ですが、G.I.テキーラを名乗れる地域は1,100万ヘクタールと広いです。北海道が835万万ヘクタールほどですから、かなり大きな地域でテキーラを造れることになります。
さて、Bowen and Zapata(2009)は数字で地元業者へのしわ寄せを説明しています。1995年からの10年でテキーラの生産量は2倍以上に増え、2005年には2億970万リットルのテキーラが造られました。一方のアガベ生産は90年代半ばにまん延した病原菌による影響や、97年の霜害によって生産量が50%以上減りました。折り悪く、世界的にもテキーラの知名度が上がっていた時と重なり、不足した原材料アガベの価格が高騰しました。98年にキロあたり平均1.57ドルだったものが、2年後の2000年には19.08ドルにはねあがりました。この結果、原材料が調達できなかった中小のテキーラ製造会社は倒産することになりました。テキーラ人気により、大手の酒造メーカーは自社畑を拡大し、アガベを自給できる体制を整えはじめ、農家はアガベの生産地域を増やしました。結果としてアガベの供給は増え、供給過多となりました。農家が製造したアガベを大手メーカーが以前のように購入してくれる構図は崩れていき、農家の経営も立ち行かなくなり、畑は荒れてしまいました。
まとめると、テキーラが地理的表示をうけ、国内外でブランドとして確立され生産量が伸びたにも関わらず、自然災害等で原材料の供給が同様に増えなかったことから、地元業者と地元農家の経営を苦しくした、ということになります。地理的表示制度は、高い品質とブランド価値をもった産品を保護し地域に貢献する制度であるはずなのに、メキシコ社会におけるテキーラは地域経済や文化に、そして環境にも悪い影響をもたらした、という結果になったのだそうです。
おわりに
テキーラを使ったカクテルは多くありますが、マルガリータはもっとも有名なものでしょう。飲んだことがなくても、グラスのふちに塩をあしらった、ライムのスライスなどが飾られている白い飲み物といえばイメージできる人も多いでしょう。世界中のバーでマルガリータを注文できますが、裏を返せば、テキーラは世界に輸出されている有名なメキシコの地理的表示産品ということになります。G.I.の制度により、テキーラは世界的に有名になりましたが、原材料生産農家や地元で長年テキーラを造ってきた中小の酒造メーカーはその恩恵を受けませんでした、皮肉なものです。
日本の地理的表示制度でワインのG.I.は比較的新しいものです。今は日本ワインブームもあり、期待が先行していますが、すでにブドウの苗木不足など問題は指摘されています。原材料ブドウの供給サイクルには時間がかかり、消費者の選好やメディアでの取り扱いは一定ではありません。10年後、20年後、G.I.ワインが地域の発展に貢献していけるよう、注意深く見守る必要はあるでしょう。
参考文献
Bowen, Sarah and Zapata, Ana Valenzuela (2009), “Geographical indications, terroir, and socioeconomic and ecological sustainability: The case of tequila” Journal of Rural Studies Vol25 (1)
===文中の補足説明===
1
日本とメキシコの間で相互保護されているG.I.は、壱岐、球磨、琉球、薩摩(日本の蒸留酒G.I.)とテキーラの他、メスカル、ソトールなど5種類の蒸留酒です。
2
テキーラの条件は、日本テキーラ協会のホームページが詳しいです。
http://www.tequila.jp.net/tequila.html
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