トゥールから車で、なだらかな丘を越え、森と草原を走ること45分。シノンの手前にある次の目的地「Domaine de Noire」に向けて出発。
地図だとこのあたりです。
シノンの歴史とは?
Wikipediaによると
ヴィエンヌ川を見下ろすシノン台地の突出部は、川の流れに触れるほどの距離である。ローマ時代以降、この突出部に城壁が築かれ、数世紀に渡って混乱と悲劇の歴史を刻んできた。845年、ヴァイキングのハースティングがシノンを掠奪した。防衛設備を築くにあたり、3人の王の名が残された。イングランド王ヘンリー2世とリチャード1世、そしてフランス王フィリップ2世である。
1205年、8ヶ月に及ぶ包囲戦の後、シノンはプランタジネット家領内の最後に降伏した地となった。
1321年8月27日、井戸に毒を入れたとして160人のユダヤ人が告発され、その一部は生きたまま火炙りにされた(血の中傷)。
シャルル7世とともにシノンの歴史が始まった。百年戦争中のフランスは非常に困難な状況にあった。ヘンリー6世は『ブリテン王』と自称していたが、当時のシャルル7世は『ブールジュの王』でしかなかったのである。1427年冬、シャルル7世はシノンで宮廷を開いた。翌年、シャルル7世はフランス中央部と南部を再び支配下においた。国家はイングランドからの攻撃からオルレアンを守るため、40万リーヴルを支払った。
1450年まで、シノンに宮廷の中枢が置かれた。しかし1498年、ルイ12世がシノン城で教皇使節のチェーザレ・ボルジアを迎えた際、城は歴史の舞台となった。ボルジアはルイ12世の離婚に関する教書を携えてきたのである。
ルイ12世は14歳の時、ルイ11世の次女ジャンヌ・ド・フランスを妃に迎えていた。こぶが2つあり、股関節痛持ちで、サルのような容姿をしていたと言われるジャンヌとの23年間の結婚生活では、子供はできなかった。義弟シャルル8世が亡くなり、即位したルイ12世はジャンヌと近親婚を理由に彼女との結婚を無効とした。そしてブルターニュ女公アンヌ・ド・ブルターニュと再婚した。シノン城はリシュリューの一族がフランス革命まで所有したが、ひどい状態で放置されていた。
この土地は、ヴァイキングに支配され、イングランドの王に統治され、フランスの手に渡り、100年戦争で幾度の戦いを経て現在に至ってます。
ロワールというエリアはフランスとイギリスの戦いの最前線だったのです。
写真は有名なジャンヌ・ダルク。
Wikipedia「百年戦争」を参照のこと
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呼吸するように自然なワイン造りを実践する「Domaine de Noire」
現地に到着すると、美しい自然とぶどう畑と犬が優しく出迎えてくれました。
この時期はバラが咲いててキレイです。
ワイン造りの現場を見学。ここではワインを赤土の壺にいれて醸造するワイン造りをしています。フランス語でこの壺の事をAmphora(アンフォラ)と言います。
こうすることで、ステンレスタンクと木樽の両方の良さをまとったワインを作ることができるとのこと。
こちらがその白ワイン。葡萄はもちろんシュナン・ブラン。。白い花の香り、キレイな酸、そして丸くやわらかいテクスチャー。ずっと飲んでても飲み飽きない白ワインです。
ロワールの違いを知る
このシノン地域の土壌の説明をしてもらいました。この地域は緩やかな丘陵地帯で、斜面は日当たりが良く、土壌の大方は砂利混じりの砂地と、石灰岩土壌の2つが存在しているのが特徴とのこと。
川の近くと、丘の上で異なった土壌。ロワール川が長い年月をかけて大地を削っていったのが原因とのこと。
実際の土壌の断面図サンプル。
それぞれの場所で栽培された、カベルネ・フランとシュナン・ブランを飲み比べ。
Domaine de Noireでは様々な賞をフランス国内で獲得しています。
まだまだある日本未上陸のワイン
こちら「Domaine de Noire」はまだ日本未上陸です。楽天などでも探してみましたが見つからなかったのが残念。
個人的にこちらのワインは隠れた名品、シノンの美しさが詰まっているワインだとおもいます。ワイナリーの規模も小さく、まだまだ無名ですが「美しい」の一言につきるこのワイナリーに、また遊びに行きたくなりました。
シノンに遊びに行くときは是非訪れてみることをオススメします。
<店舗情報>
■Domaine de Noire
http://domainedenoire.com/
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